モラハラの三重苦


モラルハラスメントの被害者は、加害者からの攻撃を受けている間、苦痛を受けます。

それだけでももちろん辛いのですが、私は、モラハラには、その構造に根差した根本的な苦しみが3つあると考えています。

それは、①何が原因かわからない苦しみ、②繰り返される苦しみ、③他人に理解されない苦しみ、の3つです。

一つひとつ説明していきます。

まず、①ですが、モラハラ被害者が、加害者から攻撃を受けると、被害者は、自分に対する不満があるのだろうと受け止め、その不満を解消し、夫婦の関係を改善しようと努力したりします。
モラハラ被害者は、問題があると自分に原因があると思いやすいという内罰的傾向があります。
ただ、これは悪いことではなく、自分に原因があると考え、改善することで、状況を良くしようという建設的でポジティブな性格の現れであったりします。
その性格を生かし、夫婦関係を改善しようと努力するのですが、いくら努力を続けても、一向に夫婦関係は改善しません。
ある点を改善したと思っても、モラハラ加害者は、また違う点で攻撃してくるということが繰り返されます。
人によっては、この努力を何年にもわたって(!)続けます。
それでも関係は改善されないばかりか、加害者は、被害者が苦しんでるのと裏腹に、ケロリとしていて、問題があるという認識がないように見えます。
これでは、問題が改善されるわけがありません。
モラハラ被害者は、自分のどこに原因があるかわからず、加害者にも罪の意識がないように見えるため、辛い気持ちをどこにぶつけて、何に向かって努力すればよいのかわからないという状況に追い込まれます。
これが、何が原因かわからない苦しみです。

次に、②ですが、①の説明の中にも書いたとおり、モラハラ加害者は、被害者が苦しんでいるのに、それに気付かず、罪の意識はなく、問題があるという認識がなかったりします。
被害者は、最初は、モラハラ加害者がいつかわかってくれて、態度が変わり、夫婦関係がよくなるだろうと「期待」します。
モラハラ被害者は、基本的に、性善説的な人の見方をし、かつ、ポジティブな性格なので、いつか改善するだろうという「期待」を、自らが疲労困憊するまで、抱き続けてしまいます(モラハラ加害者以外との関係では、その性格によって、関係をうまく築けることが多いです)。
そして、モラハラ加害者には、ハネムーン期と呼ばれる、機嫌がよい時期があり、被害者は、その時期になると、モラハラ加害者との対立が終わったことに「安心」し、関係が改善したと「期待」します。
被害者は、他人と対立的関係になることを恐れる性格であるため、対立が終わると、「安心」してしまうのです。
ところが、しばらくすると、また加害者は不機嫌になり、攻撃してきます。
最初のうちは、被害者は、攻撃に原因があるのだろうと思ってそれを改善しようと努力するのですが、次第に、何が原因で攻撃してくるのかわからない、どこに地雷があるかわからない、という状況になっていきます。
結局、どこに原因があるかわからず、加害者にも罪の意識がないため、加害者からの攻撃が繰り返されることになります。
この苦しみは、(同居しながらでは)解決が極めて困難な問題であると、私は考えています。

最後に、③ですが、モラハラ被害は、普通の夫婦間のいがみ合いや喧嘩との区別が、他人からはわかりにくく、他人に話しても理解や共感を得にくいという点です。
苦しんでいるのに他人に共感されないというのは、本当に苦しいことだと思います。
明確な暴力を他人から振るわれたり、重い病気になってしまった人は、他人からの理解や共感は得られます。
その人達の苦しみが軽いわけではありませんが、モラハラ被害は、そういう苦しみとは質的に違う部分があり、誰にも理解されず、一人苦しんでいたりするということです。
近いものと言えば、学校等でのいじめがあると思います。
私は、モラハラは、家庭内いじめのようなものだと思います。
ただ、学校等でのいじめは、昔と違い、最近では、そういう苦しみがあるということが世間で広く認知されるようになってきたのに対し、モラハラ被害の苦しみは、まだまだ認知されていないようですから、いじめとも違うと言えます。
人から理解されず、時には、自分の感覚がおかしいのではないか、と思ってしまい、一人で延々と苦しみ続けます。
これは、病気の苦しみなどとは、質的に違う、別の、恐ろしい苦しみだと思います。
これが繰り返されるとなれば、人生を棒に振ってしまう可能性のある、恐ろしい苦しみだと思います。